poohnomuのブログ

今晩何呑むか、何食べるか考えるのが生きがいです。

【晩酌以外の話】ぷーのむは一日にして成らず ②母のこと。

前回は父のことを書いたので、母のことを書こうと思います。


母はおかげさまで存命でありますので、書くことや思うことは今後、変わっていく可能性があります。が、これまでの棚卸しとして。


今回の記事はちょっと、いえ、だいぶ長いです。
もしお読みいただけるという方は、お時間のあられる時にご覧いただけると幸いです。


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母は、基本的には、非常に子供思いで、真面目な人なのだろうと思います。
大酒飲みで破天荒な父をよそに、少ない収入で家計を切り盛りし、三人の子を曲がりなりにも経済的に自立させるところまで漕ぎ着けたのは、ひとえに母の手腕によるものだと思います。そのことへの敬意に疑いはありません。
が、その子供思いと同じくらいの濃度で、非常に、気分や言動にムラの大きい人であるとも自分は思っていました。


母は生来、目の前のトラブルや不快な事象に情緒が飲み込まれやすく、物事を客観性をもって捉えることを非常に苦手としているようです。
また、時として、家族であろうとよそ様であろうと、非常に理不尽だったり非合理だったりに見える言動で、周囲から不興を買うことが度々あるらしいことが、コロコロ変わる母の交友関係から推察されました。いわゆる「空気が読めない」タイプのようでした。
(母曰く,「自分はすぐ人から嫌われてしまう」とのことでした。)


とても気が散りやすいところと、逆に過集中して周りが見えなくなっているようなところの両方が、母の気質にはあったと思います。それに加え、母は幼少期の疾患の影響で右耳の聴力が弱く、周りの人が話しかけても、聴いているのかどうかわからないような感じで、変な空気で会話がチグハグになることもあり、そうした違和感から交友関係の構築に昔から随分苦労していたようだ、と母方の祖母から聞きました。


家事も、苦手のようでした。段取りを立てて進めていくことが不得手らしいのです。掃除も洗濯も一生懸命やっているのですが、、何というか、、非常に雑?な手際で、肝心な汚れがとれていないことも多く、衣類は黄ばんで傷み、ヨレヨレになりました。部屋は、最終的には綺麗になるのですが、あっちに手をつけたと思ったら、まだそこが終わりきっていないのに次はこっちと、どんどん手を広げていってしまいます。わざわざ作業を大変にして、くたびれてしまっているように、自分からは見えました。
(これは個人の感じ方の差かもしれません。が、幼い頃はどちらかというと神経質だった自分は、違和感をずっと持ってました。今ではお陰様ですっかり豪快大王の自分ですが。)


料理も、母なりにいろいろと頑張って作ってくれていました。なのに出来上がったオカズはなぜか味がしないとか、火が通りすぎてモソモソだとか、逆に水っぽすぎたりとか、、
作ってもらっておいて申し訳ないとは思うものの、残念な仕上がりであることが多く。
母は「お母さんは頭悪いから、要領ようでけへんねん。イヤなら食べんでええで。」と言ってました。頭?って関係あるんかなぁ。


とりわけ苦手なのが整理整頓で、母曰く「ちゃんと片づけている」はずが、家の中には常に大量のモノが溢れ、乱雑でした。母にも自覚があるらしく、今日こそ片づける!と周期的に息巻いては、引き出しや押し入れの整理を始めます。が、日が暮れて、夜が更ける頃になっても、部屋中に大量のモノが広がっているだけで、量は一向に減らず、それこそ足の踏み場もない。まさにカオス。
あまりにカオス状態なので、お母さん手伝おか?と横から声をかけても、そこには本人なりのコダワリがあるのか、さわらんといて!と怒鳴られる始末。結局、引っ張り出したモノを再び元のように、引き出しや押し入れに半ベソ顔で押し込む母。


そんな雑多な荷物の傍らに、『美しい部屋』という写真雑誌が何冊も、積み上がっている。これは一体何の冗談なんだろう。それにしても自分らの晩ごはんはいつかなあ、もう夜の九時だよ、、と子供の自分たちは空きっ腹でそれらを眺めていました。


専業主婦で、家事に使える時間はそれこそ十二分にあるはずやのに、なんでなん?
ウチはなんでいつもこんな雑然とした家なん?
まるで昭和のダンナがヨメの不出来を咎めるみたいに、子供の自分は思っていました。
同じ団地の幼なじみの家と、全然違う。間取りも全く同じはずやのに。
モノも少なく、よく整理された幼なじみの家は、まるでウチとは別世界の、雑誌で見るようなホンマもんの「美しい部屋」でした。



そして、母は、いつも怒っていました。
混沌とした家に、終わりのない家事に、乏しい家計のやり繰りに、ままにならない人間関係に、出張がちなのに帰宅時は必ず泥酔してくる父に、全てに怒っている。
母は、意のままにならない眼前の事象全てに、常に、怒りのマグマを溜めているようでした。


母の怒りの対象には、意のままにならない子供たちも、もちろん含まれます。
覚えている限り、自分たち子供の学齢期の母との会話は、90%ぐらいが小言と叱責で構成されていたと思います。とにかく叱られる。何を言っても小言で返ってくる。
普通の話はできんのかいなこの家は、、、と自分は思ってました。
(ていうか、母親ってのは小言と叱責しかしない、てのがデフォルトなんでしょうかね?)


姉については、母は特に育てにくさを感じていたようです。気性の激しい姉はしょっちゅう母に反発し衝突し、最後は掴み合いの喧嘩みたいになることもままありました。
自分は、とりたてて母を困らせるような行動が少なかったので、「アンタは育てやすかった」と母は言ってました。
そりゃそうだよ。常にアンテナ張って、地雷踏まないようにしてたからね。


そんな母の口癖は、
「アンタら誰のおかげでご飯が食べられると思ってんねん」
「食わせてやってんねんから有難く思え」
がツートップでした。恐らく、普段父が母に投げつける言葉を、そのまま子供に投げつけていたと思われます。それらは父の口癖だったので。


「食わせてやってるって、そもそもコッチは生んでくれって頼んでないよ。
そう返すのが自分にとっては精いっぱいでした。


もしかして母や父は自分の実の親ではないのか?!と一瞬期待したのですが、残念ながらコチラ実の親です。もしホントの親がどっかにいるんだったら早く迎えに来てほしい。
満月を眺めて、居もしない「白馬に乗ったご両親」を心のどこかで待っていた自分。
かぐや姫とシンデレラが混ざって和洋折衷。残念。


とにかく、母にあんまり本音言うと、また「出ていけ!」とかいってキレられて、余計面倒なことになるとわかっているので、自分は出来るだけ、黙っていることにしてました。
今日はこれくらいにしといたるわ~~っていう池乃めだか師匠のギャグが、その頃の自分の心の支えだったと思います。


カオスな家庭空間→苛立ちMax母→泥酔の父帰宅→「空気読まずに」恨み辛みぶつける母→激怒して暴れる父→怯むことなく泣いて抵抗する母→泣きわめく姉。(弟は爆睡。)
そこはまさに修羅の国、北斗の拳の世界。これが自分の日常でした。
       ↑
(自分にはそう見えた。少年ジャンプにハマってたんで。自分は「家政婦は見た」状態で物陰から観察中。)


ウチは、なんか違うのかもしれない。子供心にそう思うようになりました。
でも、昭和だからさ。そんなおウチ、いっぱいあったと思うんですよね。たぶん。
自分のトコだけじゃない。そう思いたい。



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ここまで細かに、母のことを書いてきました。
が、それは、単に母の悪口を言いたいためではありません。冒頭に書いたように、
自分は、母が自分たちをしっかり育ててくれたことに敬意を持っています。


後年、自分が教員という仕事に就いてから、母に関して気づいたことがあります。
その気づきを、自分自身で言語化し、棚卸ししてみたいと考えました。
(母についてこのように言語化するのは、自分初めてです。)
母にとって不名誉なことではありますが、思い切って書き出してみました。


自分は長年、教員としていろいろな生徒さん達に接してきました。自分が関わらせてもらった生徒さん達は皆、とても良い子達でした。が、やっぱりいろいろな特性を持った子はいるもので、私たちはそうした場合に適切に対応できるよう、様々な研修を受け、毎日の仕事に臨んでいます。
中でも、近年特筆すべき必須の対応として、発達障害の特性を持つ生徒さんへの知識や理解を深めることが、私たちの現場では最重要になっています。今では広く知られていることと思いますが、自分が教員になってから比較的早い時期に、「ADHD」という特性が世の中にはあるということを、教員研修で知りました。


研修でいらっしゃった大学教授の先生は説明の中で、
「もしかして先生方がね、たくさんの生徒を見ておられてね、あー、もしかしたらこの子はそうかな?と直感的に思われる子が、いると思うんですが。それはね、だいたい合ってる可能性が高いです。先生方、たくさん生徒さんを見ておられるので、サンプル数が豊富ですよね。他の定型発達の子との差異に、気づきやすい環境におられると思います。」
「だから、そうかな?と思われたら、できるだけ速く、そういう対応をなさってください。間違っててもいいんで。それと、専門機関に相談するのをためらわないでくださいね。そういう特性って、放っておくと二次障害になっちゃうので。」


とおっしゃって、研修のスライドで示された「ADHD」の行動特性は、
自分が長年悩まされてきた、また母自身も悩んできたであろう、母の行動や特徴に、
いくつもあてはまっていました。



だからといって母に、専門機関できちんと診断を受けてもらったわけではありません。
また、母は「ADHDだ」と決めつけることもできないと思います。また、母の行動や特徴と似た性質を持つ人々が、そのような特性に必ず分類されるとも、もちろん言えません。自分は専門家ではないので。
しかし。
母がこの特性にあてはまる可能性は高いのではないかと、自分は推察しています。
そしてこの特性特有の行動と特徴によって、母自身が「生きづらさ」を感じていたことは、恐らく間違いないだろうと思うのです。



母は長年、辛かったのだろうと思います。
そして自分ら子供達は、ずっと人生の大きな部分で、こうした母の言動に振り回される割合が非常に高かったとも思います。
姉にも、自分にも、弟にも、そうした特性を持つ母からの影響が、それぞれの人生に今も、少なからぬ影を落としていると感じます。


母への敬意を感じるのと相半ばして、自分は母のあの「口癖」を長年許せずにいました。
でも、母のことを多面的に理解して、母に対する自分の気持ちを穏やかなものに出来れば、、と今では思うようになりました。まだ道半ばですが。


母の寿命がある限りは、努力を続けたいと思っています。



「親孝行できるかな?」


 努力しまっせ!



非常に長文になりましたが、お読みくださった方、本当にありがとうございます。