poohnomuのブログ

今晩何呑むか、何食べるか考えるのが生きがいです。

【晩酌以外の話】ぷーのむは一日にして成らず ①父のこと。

ヒトの生い立ちって、成長しても、こんないい年した大人になっても、影響するものなんだなあ、、思うことが自分は多いです。
つい最近の「納得いかないこと」の根っこを辿ると、実は子供時代に端緒があったり。
愕然としますが。
だから自分自身の棚卸しは、実家の家族のことから始めようと思い立ちました。


自分は五人家族で育ちました。
父、母、年の近い姉、自分、年のずいぶん離れた弟、の五人です。


父の話をしようと思います。



父は昭和のモーレツサラリーマンで、ちっさい卸問屋みたいな会社で営業をしていました。
営業の接待を理由にめちゃくちゃ大酒飲む、ちっさいオッサンでした。酒飲むのが仕事、が口癖。地方出張が月の半分くらいあって、残りの半分の帰宅時。連日ベロンベロンになって帰ってきて、大声で歌ったりクダ巻いたり暴れたりするので、タチの悪い酔っぱらいが帰ってきたぞ!気をつけろ!!と子供心に警戒マックスでした。


そんな泥酔して理屈の通らない状態の父に文句言う母。柔道黒帯だった父は千鳥足で母をどつきたおし、生意気ざかりだった姉もどつく、両親姉ともブチキレて家のもの投げ合って諸々壊れる、のフルコースで、そこは修羅の国、北斗の拳の世界観。家中が絵に描いたような、いわゆる「火宅」だったと思います。


自分は物陰から様子を窺い、自分に被害が及ばないように布団かぶって隠れてました。
その頃まだ弟は生まれておらず、自分が末子だったってこともあるんでしょうが、自分は父に殴られたことはありません。
父の顔色や目の色の瞬時に変わるさま、母や姉のヒステリックな対応を、小動物のように物陰からじっと観察して、事前に地雷を回避するようなクセがついてました。基本的な対人スキルはこの頃に身についたと思います。


実家は片田舎の団地で、泥酔して帰ってきた父の大声が建物に反響してめっちゃ響くので、
父の大トラは近所には完全周知でした。
恥ずかしいけど、逃げも隠れもできないんで、自分達は開き直ってましたけど。


父はよくあれで仕事やってたなと思いますが、昭和なんで。
ノミニケーション、で成り立ってたんだろうと今は思います。
ほんまにちっさい会社で、給料も安かったみたいです。
父は中学卒業して一年浪人して商業高校に行ったので、学もないからしゃーない、今の社長に拾ってもらったから今があるけど、地元ではヤクザもんになるしかないと言われていた、家のローンもあるのに給料安いから困る、と母がしょっちゅうボヤいてました。
(父の地元はヤクザのメッカ、と後年になって知りました。)


そんな母の愚痴を聞きながら、それで、その収入で、母は専業主婦で子供二人いて分譲で団地の家買ってローンに追われとる、って。ん?
そもそも人生設計が甘いんじゃないの?なんでそれで家買うかな?破綻するんじゃね?てかウチの親ヤバくない?だいたいそのやっっっっすい給料でようローンの審査通ったな!
と子供心に思ってた自分です。「じゃりン子チエ」みたいな女子児童。テレビでチエちゃん見て、なんか自分に似てるな、、と親近感持ってました。(幼なじみの友人からも、あれアンタに似てるなぁ、、と言われてたのでたぶんそうなんだと思います。)


ヤクザもん一歩手前という生育歴が影響してか、父はコンプレックスの強い人でした。いつも虚勢を張っているように見えました。子供達に対しては、子煩悩というわけでなく、しかし子供嫌いというわけでもなく、どう接して良いのかわからないような印象でした。また、酒を飲んでいない時は、いるかいないかわからないような寡黙な人でした。しかし一たび酒が入ると目が据わり、いつ、何にキレて沸騰するかわからない瞬間湯沸かし器のようなヤクザもんに変貌しました。


大酒飲みの、近所界隈でも有名な大トラの父でしたが、何故か
アンタのお父さんな、あの人は人望がある人やねんでぇ、大目に見たってなぁ、
と、近所のオッチャン達や、時たま会う親戚のオッチャン達からは、不思議とよく言われました。
家で大暴れして妻子を不快と絶望のドン底に陥れるあの恐怖の大王(父)が、なんで人望あんねん。どないなっとんねん。と長年謎でした。


父は家の外では、大変情にアツく、飲み屋で愚痴って嘆くヨソのオッサンに酒を注いで励まし、時には小金を握らせたりと、面倒見のいいおっちゃんだったようです。そして酒席では明るく陽気に皆を盛り上げ、話芸で場を沸かす、愛嬌のある酔っ払いだった、と。
父にとって酒は、コンプレックスの塊みたいな自分自身を強気の存在にしてくれる「武器」みたいなものだったのかもしれません。
周囲の人から聞かされる、外での父の姿。似たような複数のエピソード。これらを私達家族が知ったのは、父の葬儀の席でした。

父は大酒が祟り、会社で勤務中に突然倒れ、そのまま亡くなっています。49歳でした。

心臓の解離性大動脈瘤破裂ということで救命が難しく、即死に近いような状態だったそうです。家族の誰も、死に目にはあえませんでした。自分はその時大学3年だったのですが、病院に駆けつけて死因を聞き、解離性動脈瘤破裂といえば、、、石原裕次郎の死因と同じだねぇ、裕次郎みたいな死に方だね、、と冷静に思った自分はほんとに血も涙もないな、と今も思います。


救急搬送された病院地下の霊安所で一晩、お線香を絶やしてはならないとのことで、父の遺体に付き添いました。その日の朝、自分は、いつもと違って少し遅く出勤するという父と、一緒に電車に乗って、大学に向かったのですが。
わずか半日の後、もう動かない父。人間てこんなあっけなく死ぬんだ。ほんとにせっかちなオヤジだよ、慌てて逝った。もうあと一年待てば、私も就職して少しはラクさせてあげるのにさぁ。
あまりに突然のことに呆然とするだけでした。

葬儀は団地の集会所で執り行いましたが、その辺のフツーの、葬儀会館でもない狭い集会所に、200人超のご弔問を頂きました。
静かな片田舎の団地に喪服の大集団が突如発生し、今日は地域の盆踊り大会かなんかですか?という人出の多さに我々遺族はビビりました。父は本当に人望があったのだとわかりました。
ヨソの人には。



父はなんであんなに酒を飲んだのか。家族のためだ、と父自身は酔って言ってましたが。



人生って不条理なんだなと思います。




今、自分は父の死んだ歳を越えようとしています。
そして自分も、大酒飲みです。
心のどこかで、自分も早死するのではないか、と思う時があります。
ヤクルト1000ガブ飲みしてるけど。



生きてて良かったな、と思える人生であったらいいな、と思います。




ねっ!(^-^)

そだね!