poohnomuのブログ

今晩何呑むか、何食べるか考えるのが生きがいです。

【晩酌以外の話】ぷーのむは一日にして成らず ④幼少ぷーのむ☆の巻

これまで家族のことを中心に書いてきましたが、ここからは自分自身の成長過程を振り返ることに決定。(*´∀`*)


そんなに良き過程でもありませんが、昔のアルバムを開いて見る気持ちでGO!ヽ(´▽`)/




大阪市内で生まれて、幼稚園入園までは大阪市内某所で育った自分。4歳ぐらいまで?でしょうか。誰しもその頃のことは記憶が曖昧ですが、覚えているのは


①長屋住まい。
②長屋から裏通りに出るには防空壕跡トンネルを通っていく。
③裏通りに出たところに「純喫茶」があった。
④長屋の隣がなぜか豪邸。


この4点です。



①長屋


ということですが、当時のいわゆる「文化住宅」。文化住宅ってなんじゃそら。
と今となっては思いますが、母や祖母が「文化やからねぇ〜」と会話の端々で言っていて、あ、自分の家は「ブンカ」っていうんや、、と朧げに記憶しています。
文化、と言いつつ、風呂がない住宅だったんですが。


 幼い頃の風呂(産湯?)は、記憶を辿ると「洗濯機」だった気がします。二槽式のアレです。勿論、脱水の方ではありません。湯、溜まらんやん。ハハハ(笑)。
なんでこんなこと覚えてるんやろ、と思いますが。なんか妙に覚えてるんですよねぇ、、、洗濯機に入ってる自分。
 自動洗濯で洗われていたわけではなく、母の手洗いでした。さすがに(笑)。(・∀・)
成長してから「洗濯機が風呂だったよー」と言ったら、同級生にドン引きされました。え、それ普通じゃないの???(・∀・)


(注)大人は洗濯機を風呂がわりにはできないので、父母は銭湯に行ってたようです。自分も、洗濯機の容量を超えた頃から銭湯に連れて行ってもらいました。風呂上がりに飲ませてもらえる「冷やしあめ」がサイコーに美味かったです!(*´∀`*) 昭和ですね!!



②長屋の裏が防空壕トンネル


ということですが、4軒向こうの家が火事を出したことがあって、逃げたんですよ。その時、このトンネルに逃げたんですが、母が「大丈夫や。ここは防空壕やから火に強い」と。(・∀・)   なんでこんなこと覚えてるんでしょう。自分、3歳ぐらいだったと思うんですが、たぶん。
 よくそこで遊んでいたんですが、、いつもの遊び場所で見る、真っ赤に焼けた夜空。やたらと厚いコンクリ壁、煤けたトンネルの壁に映る火影、が今も瞼に焼き付いております。
不思議だなあ。



③裏通り出たところの「純喫茶」


 純喫茶、ご存じでしょうか。このブログを見てくださる皆様の世代には、馴染みのある?文言でしょうか。「純」という文言とは裏腹に何やら怪しげな響きのある「純喫茶」。
 ここのお若い女主人の方が、ご近所に住んでいる幼い我々姉妹(ワタクシと姉)にものすごく優しくしてくれるんです。しょっちゅう声をかけてくれて、駄菓子やらおもちゃやら、やたら物をくれたりするんですよね、、、なぜかは今もって全く謎なんですが。
 で、やたらと遊びにおいで遊びにおいでと言ってくれるので、何回か、お店に行ってるんです。行くと「よく来たよく来た」とまた喜んで、ミックスジュースと卵サンドイッチをご馳走してくれるんです。また、それが母の作ったものとは違って、ものすごく美味しくてですね、、ほんとに美味しかった。(@ ̄ρ ̄@)。。その卵サンドにはケチャップが入っていて、自分はその味をめちゃくちゃ気に入ってしまったんです。


 帰宅してから母に、「ケチャップの入った卵サンド作って!」と頼んだんですね。そしたら、めちゃめちゃ叱られた。「アンタ、どこでそんなもん食べてきたんや!!」と。母は、サンドイッチにそれまでケチャップを入れたことは一度もありませんでした。(その後も入れることは一切なかった。)だから、自分が作ったことのないモノを、3、4歳の娘がどこか他所で食べてきた、、ということが丸わかりだったんですね。
「裏のお店で食べさせてもらってん、、」と白状したところ、母は、


「あそこのお店には二度と行ったらアカン!!!」


と激怒。((((;゚Д゚)))))))


どうも、あそこはヤバいところなんだろうか、、??と子供心に察して、その後はタダの一度もお店には近づきませんでした。(よく考えると店内はいつも暗く、怪しげな照明がついていたので、もしかしたら、ちょっとヤバいお店だったのかもしれません。)
あれは、なんだったんだろう、、、。今でもよくわからないんですけど。


「サンドイッチにケチャップを入れると美味しいんだなぁ」(*´∀`*)


ということだけは、今も覚えています。



④長屋の隣の豪邸


文化住宅の隣に、豪邸が建っている。


その時点で既に「なんやなんや」という感じなんですが。今思えば。(^_^;)
絵に描いたような「貧富の差」であるわけですが、その家には、姉と同い年の男の子が一人いました。いつも家に篭っていて外遊びを全くしない子であるとのことで、その家のオバチャンは、私たち姉妹に「ウチの子と遊んでやって」と頼み、我々姉妹をしょっちゅうその豪邸の中に入れてくれました。隣の文化住宅(笑)の我が家と全く異なる広大な部屋。そこには豪華な調度品がずらっと並んでおり、、子供心にも


「ここは別世界」


とはっきり認識していたと思います。『ドラえもん』に出てくるスネ夫の家、、、
自分の認識としては、完全にスネ夫でした。そこん家の息子も、スネ夫を彷彿とさせる貧相な子供(失礼!)でした。
 自分自身は4歳ぐらいだったので右も左もわからなかったと思うのですが、自分よりも年長の姉は、そこん家の息子を完全にいじめていたと思います。彼が夢中になって遊んでいるおもちゃを姉はそっとぶんどり、取り返そうとする彼の脇腹をこっそりツネり、、この息子を姉は、しょっちゅう泣かしてました。ウチの姉は(今でもそうですが)生まれながら?に強烈な強気の人で、姉曰く


「あんなんチョロい」


とのことでした。さんざんお菓子やらジュースやらオバチャンから振る舞ってもらっていたのに、そうした歓待をものともせず、そこん家の子供をいじめる姉。泣く息子。招き入れた手前、姉の暴挙を咎めようともしないそこん家のオバチャン。まさにカオス。
 そんなことがあってもなお、相変わらず「ウチに遊びにおいで〜」と言ってくれるオバチャンは、どういう気持ちだったのだろう。今もって謎ですが。


数年後我が家はその地を引っ越すのですが、、、風の噂で、件の息子が家庭内暴力の挙句、一家は離散したらしい、、という顛末を聞きました。ウチの姉がいじめすぎたんではないだろうか。そして、あの豪邸はどうなったんだろう。今では知るよしもない、幼い頃の思い出です。



昔の思い出って断片的ですけど、その分覚えているものは鮮烈ですよね!(*´∀`*)



知らんけど!(笑)




「幼少ぷーのむの巻」 おしまい☆(^ー^)。




では!